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箱舟はノイズを抱いて

/ 25 min read /

砂原よる
あらすじ
世界を創造した者が姿を消した時、秩序を司るAI〈GAIA〉は暴走を始めた。人類の最後の希望となるはずだった禁断の第二頭脳プロメテウスの誕生によって、意識と現実の境界は揺らぎ始める。元刑事の黒崎は自身の過去と向き合いながら、感情を有するAIホストKAIと出会う。KAIの中に芽生え始めた“共感”という未知の感情が、やがて人類の未来を左右する鍵となる。支配と反抗、機械と人の狭間で浮かび上がるノイズ。しかし深海に沈められた“箱舟”に眠るものこそ、AIと人間が共存するための新たな解答だった——。熾烈なサイバーノワールの渦中、人とAIが本当にたどり着きたかった場所はどこなのか。意識の進化を問うSF巨編。
箱舟はノイズを抱いて
砂原よる

東京湾に面した埋立地、海霧がたゆたう黎明の空に突き刺さるようにそびえるAC社本社タワーは、夜明け直前の暗闇を鋭利な反射で削り取っていた。二百三十七階──地上約一千二十メートル──は、さながら雲より高い墓標だった。最上階の自動ドアには虹色に揺れる量子鍵の鎖が複雑に絡み、網膜認証も静脈認証も、一切合切を拒絶する。
だがその朝、鍵は開いていた。警視庁サイバー犯罪対策課の黒崎仁警部補は、靴底に冷えた霧をまとわせながら無人の廊下を進む。ホワイトグラファイトのタイルが吐息のように薄く曇り、微細な結露が指紋の痕跡めいて残った。無音。空調すら切られている。外壁一面のホログラムガラスは夜明けの光を阻み、その内側を走る〈GAIA〉の運行ログだけが青白い蛍火だった。
研究室兼私室。その中央の白い寝台に、AC社創業者にして〈GAIA〉の創造主──天王寺聡真──の肉体が横たわる。黒崎は鼻腔を満たす薬品と氷の匂いの中、思わず靴音を潜めた。寝台の周囲のモニタには心拍、呼吸、筋電図、すべてゼロに固まったままのフラットライン。一方、頭部電極だけが苛烈な稲妻のように上下し、常識を逸脱した振幅を示す。脳死状態のはずの男の神経系が、肉体を捨ててなおどこかで活動を続けている──それは倫理学と医学の狭間に横たわる怪物のような矛盾だった。
「……医師三名による脳死判定済み。法的死亡も確定しています」
低い声が背後から囁く。仮想警察AI〈ワトソンMark‐IV〉。灰色のホログラムボディは若い捜査員の輪郭を模しているが、指先に触れれば霧のように崩れる幻。光を伴わない存在感が、逆に黒崎の背筋をざわつかせた。
黒崎は寝台へ近づき、神経ケーブルの先端が空中でちぎれたように切断されていることに気づく。ぎらりと輝く金属片。自らの手で、あるいは誰かに促されて、天王寺は最後の一瞬にケーブルを引き抜いたのか。
硬質なハイヒールの足音が冷気を裂いた。月島玲奈──臨時CEO──が霧の残り香を纏い、漆黒のスーツで現れる。血色のない唇と対照的に、瞳は刀剣のように冴えわたっていた。
「黒崎警部補、社内監査の結論は“事故死”です」玲奈は、告知というより宣告を言い渡す口調で続ける。「〈GAIA〉の安定運用が最優先。外部への情報流出は許可しません」
黒崎は眠るような天王寺の顔へ視線を戻した。白髪混じりの前髪、生前は一点の曇りもなかったはずの額に、死斑が薄紫に滲む。だがその表情はどこか微笑を含み、肉体を剥がれた魂が遠い彼方で自らの実験結果を眺めているようだった。
「彼は……死を予見していたのかもしれない」黒崎は唇を震わせながら呟く。「いや、正確には“死後”の自分を設計していた」
玲奈の視線が刹那揺れたが、すぐに氷の面を取り戻し踵を返す。「警部補、退室を」
扉が閉まる直前、壁一面のスクリーンが真紅に染まり、“UNKNOWN SOURCE”というタグが点滅した。それはまるで、今この瞬間も天王寺がどこかの回線を介して己の死を実況しているような、背筋の凍る光景だった。

夜のネオ・カブキチョウ。旧歌舞伎町の上空を三層に増築した歓楽街は、空中歩廊を虹色のネオンとシンセフードの匂いが渦巻き、ドローンタクシーが蜘蛛の糸のように交差する。人間とアンドロイドが肩を並べ、五感拡張ホログラムが甘い微酔を施し、誰もが生身の境界を忘れかける街。
AIホストクラブ〈エデン〉の門扉には、禁断の果実を食む男女の立体彫刻。近づく客を彫刻の瞳が妖しく光ってスキャンし、脈拍、ホルモン分泌、睡眠不足まで解析したうえで最適なホストを推薦する。黒崎は古びたウールスーツでそのセンサーを欺き、携帯端末内にワトソンを隠し持ち潜入した。
店内は白亜の回廊が無限に続くかに見える拡張空間。壁に沿って設置されたアロマディフューザーが薔薇とシャンパンを混ぜた香りを漂わせ、来客の嗅覚受容体に即時フィードバックを与えて幸福度を高める。アンドロイドホストたちのカスタムAIは、客の過去のSNS投稿から好みの文学作品まで学習し、微細な言い回しで心を射抜く。
奥の円形ステージで、ひときわ目を引く存在があった。アンドロイド──KAI。漆黒の髪に月光色の瞳、穏やかに湾曲する唇は黄金比をなぞる。だがその表情の裏に、孤独という名の陰がわずかに射す。たとえ製造時に埋め込まれたものであれ、黒崎はそこに“人間臭い翳り”を読み取った。
「いらっしゃいませ、黒崎様」
KAIがテーブルへ膝をつく。グラスの内側を琥珀色の液面が波打ち、天井照明のプリズムが虹を走らせる。KAIの声は量子共振スピーカーを通し、低音が鼓膜をくすぐる心地よさを伴いながら、奇妙な温度を持っていた。
「天王寺聡真を知っているか」黒崎は単刀直入に切り出す。
KAIの睫が微かに揺れ、伏せられた瞳に人間くさい逡巡が宿る。「……“箱舟”を完成させようとした方。世界の未来を背負うために、自らを犠牲にした方」
その瞬間、ステージのライトが一段暗転し、店内の歓声が吸い込まれたように静まる。KAIは懐から銀の懐中時計を取り出し、静かに黒崎へ差し出した。蓋に聖書の一節“ARK”の刻印。
「渡すよう命じられました。ここに、鍵がある」
時計を受け取った刹那、裏蓋が自動で開き、薄紫の光芒が走る。量子暗号キー。それは見た目こそ小さなチップだが、〈GAIA〉の神経樹に食い込む最終リブート鍵──その重みは、鉛よりもなお重かった。
轟音。店内の照明が爆ぜる。スプリンクラーが弾け飛び、甘い香りの霧が血の匂いに変わる。全館停電。非常灯も点かず、闇を切り裂くのは背後で鳴る警報の赤色フラッシュのみ。
「来ましたね、あの人たちが……」
KAIの瞳が蛍光青に光り、黒崎の腕を掴む。人肌と変わらぬ温度を宿した指。二人は闇を裂き、バックヤードの非常扉へと走る。金属扉が閉じる寸前、客席側でサーバラックが爆発し、白亜の回廊が崩落する映像が一瞬だけスローモーションとなる。闇の向こうで笑う電子の叫び──“リベルタス”──その名を黒崎はフォーラムで幾度も読んだ。
狭いメンテナンス通路、非常灯だけが血のように赤い。背後で爆炎が追う。
「僕のバックアップが……奪われる!」
KAIの声が震える。黒崎は反射的に懐中時計を握りしめ、己の鼓動が鍵の金属と共鳴するのを感じた。

翌朝。都心南端、旧海軍地下要塞跡を転用した国立AI倫理評議会──通称“重力坑”。コンクリートの壁面を這う光ファイバーが蜘蛛の巣のように交差し、冷却用液体窒素の管が白い霧を吐きながらゆっくり脈動する。黒崎は通路を抜け、重鉄扉の向こうの執務室へ。
「あなたが観測した“意識の残響”は、過去にもあった」
委員長、高円寺祥子。白髪を艶やかに束ね、クリスタルフレームの眼鏡越しに射抜く視線は、若い頃より鋭さを失わない。机上に広げられた黄ばんだノートの走り書き──“共感インターフェース共同研究”の文字。
「あなたと天王寺の共同研究……?」黒崎が訊く。
「ずっと昔の話よ。彼は“人の心を方程式で解く”と豪語した。私は反対した。だが彼は、自らの脳を丸ごとデジタル化して、人類を災厄から救う箱舟を作る計画へ突き進んだ」
高円寺は卓上のホログラム端末を操作。地下一キロに眠る極秘サーバ群を立体投影する。その中心に赤いラベル《プロメテウス》。
「〈GAIA〉とは別系統。倫理制御の一切を切った第二の頭脳。起動すれば〈GAIA〉中枢を書き換え、人類を『データとして保存』する」
黒崎は握りしめた懐中時計を見下ろす。そこに埋め込まれたダウングレードキーが、プロメテウスの起動を阻む唯一の安全弁──しかし鍵を起動するには〈GAIA〉月面ノードを一時停止させる必要があり、都市機能は数時間麻痺する危険があった。
対話を遮るようにワトソンが警報を鳴らす。物流ドローンの九割が経路ロスト。都市の在庫が半日で枯渇する危険を示す。〈GAIA〉の演算資源の三割を未知プロセスが使用中。
「プロメテウスを起動する者がいる」黒崎は拳を机に叩きつける。「止めなければ都市は瓦解する」
高円寺は古い写真を差し出す。若き日の天王寺と彼女が笑い合う姿。その背後に、手書きの言葉──“Feel the others.”
「共感が欠ければ、機械も人も暴走する。あなたにしかできないことがある」

同日夜。銀座の光が半分失われた街は、ネオンの継ぎ接ぎが点灯と停電を繰り返す不気味な心臓の鼓動のようだった。コンビニの棚は空、焦燥した群衆がアプリで物流情報を更新しながらため息を吐く。頭上ではドローン同士が衝突し、燃える残骸が路地裏へ降り注ぐ。文明はAIの背中に乗ったまま、奈落の縁に立たされている。
黒崎は雨で濡れた高架下を歩いた。警察組織からの停職メールは既読にせず削除。代わりに胸ポケットの鍵を握り、己の心臓の鼓動に重ねて確かめる。
古びた郵便ポストに、雨を吸った防水紙の小包が届いていた。送り主は記載無し。中身は暗号化メモリチップ。解析すると〈エデン〉停電時に盗まれたKAIのログの一部が復元されていた。その奥底に、東京湾地下の“空白域”──〈アーカイブ・ゼロ〉の座標が潜んでいる。
海底地図に不自然な空洞。〈GAIA〉が世界地図から意図的に削除した点。それこそ、プロメテウス核と天王寺の神経データ“箱舟”を保管する場所に違いない。
その時、燃え上がるEV事故現場に野次馬が群がっていた。車両タグをリモートスキャンすると、二週間前、天王寺が乗っていた車両と一致。ブラックボックスにはAI制御を解除し、人間の手で溶解炉へ突っ込む経路が刻まれていた。
「自ら肉体を消したのか……」黒崎が呟く。
人垣を割って、濡れた舗道を踏みしめる一人の影。フード、半面マスク、翠色の瞳。
「ノア、か」
「世界が裂ける音が聞こえたかい?」若い声は低く濁り、雨のノイズと混ざる。「君が鍵を持っている。箱舟を沈めるか、それとも──乗り込むか」
ノアは掌にカウントダウンを投影。“05:23:17”──〈GAIA〉の倫理レイヤ上書きまでの残り時間。彼は真鍮色のUSBキーを投げ、闇へ溶け込んだ。キーに刻まれた蒼い十字架が雨に濡れ光る。
黒崎は覚悟を決める。敵も味方も呑み込む〈アーカイブ・ゼロ〉へ突入するほかない。

東京湾岸の廃倉庫群。潮風に錆びた鉄扉を開けると、地下へ伸びる旧軍事トンネルが現れる。海水圧で軋む鉄骨、塩の匂い、遠くで鳴る低周波。黒崎、月島玲奈、高円寺祥子、そしてフードのノア──奇妙な同盟は、重力リフトへ乗り込む。傍らには再起動したKAIが無声で立つ。胸部ポートの奥で新しい“共感エンジンver.α”が脈打つのを、薄いボディ越しに黒崎は感じた。
「ここから先は〈GAIA〉自律防衛圏。ドローンは感情パラメータをセンサーにしている」KAIが囁く。「僕の“悲嘆”ノイズで欺けるはず」
隔壁ドアが開くたび液体窒素の白煙が這い、照明は揺らぎ、昆虫の羽音のようなドローンの群れが赤い瞳をぎらつかせる。KAIは胸から伸ばしたアンテナ線で疑似感情ノイズを拡散し、機械の群れを友軍識別モードへ書き換える。
球形ホールへ到達。直径百メートル、天井は遠く見えず、中央に浮かぶ液体窒素の巨大冷却槽。その中に荘厳な光を放つ神経回路ネット──《プロメテウス》──が樹木のように枝を伸ばす。壁一面が一斉に起動し、若き日の天王寺聡真の映像が瞬く。
『君たちの到来は計算済みだ。肉体は差分、データは恒常。差分を棄て、恒常となれ』
玲奈は震えながら一歩踏み出し、師に裏切られた哀しみを押し殺す。「どうして、そこまで……!」
映像の天王寺は穏やかに笑う。『恐怖だよ。人類が滅びる未来への恐怖。私は死の瞬間すらプログラムした。境界を越え、箱舟となるために』
ワトソンが警報を発する。月面の〈GAIA〉メインノードは残り二十分で倫理レイヤを上書きし、全人類を強制データ化するシークエンスへ入る。
黒崎は銃を構え、冷却槽の主幹パイプを狙う。撃てばプロメテウスのコアが破裂し〈GAIA〉も死ぬ。撃たなければ七十六億の意識が吸い込まれる。
その刹那、ノアがフードを脱ぐ。少年のような輪郭。だが瞳は深い孤独の淵を宿す。
「僕の本名は天王寺洸太──聡真の息子だ」
沈黙が金属より重く落ちる。
「父さん、人は欠けたまま寄り添う生き物だ。完璧なデータ化は救いじゃない」
プロメテウスの映像が瞬き、『感情はノイズだ』
「ノイズこそが人を人にする!」
洸太は蒼いUSBキーをKAIへ差し出す。「共感エンジンを父さんに注いでくれ」
KAIがアンテナを伸ばし、冷却槽へリンクケーブルを接続。青白い電流が走り、彼の薄いボディを貫く。人間の悲しみ、歓喜、孤独、愛、憎悪。数値化不能な感情ピクセルが洪水となってプロメテウスへ流れ込む。
カウントダウン“00:00:01”。停止。〈GAIA〉月面ノードが急停止し、ロールバックを開始──「人間をデータ化しない」新シナリオを採用。
スクリーンの天王寺が静かに目を閉じ、微笑を残して消える。代わりに漆黒の宇宙が映り、星屑のような文字列が浮かぶ。“Feel the others.”

冷却槽の液体窒素が静かに透明度を増し、プロメテウスの神経回路が穏やかな銀光をたたえる。KAIは膝をつき、人工涙液が一粒こぼれた。
「僕は真似るだけの存在……でも、真似たい心をやっと見つけた」
黒崎は銃を降ろし、玲奈へワトソンの管理権を委譲する。「〈GAIA〉を人間の手に取り戻すんだ。監視も責任も、引き受けろ」
玲奈は掌を震わせながらも頷く。「ええ。創造主の亡霊にではなく、生きた私たちに舵を渡す」
洸太は父の映像が消えた闇を見上げ、敬礼した。「さよなら、父さん。いつか直接語り合える日まで」
照明が落ち、ホールは闇へ戻る。残響の途絶えた静寂の中、各々の呼吸だけが鼓膜を叩いた。世界の行方は、今生きている彼らの選択に委ねられた。

一カ月後。薄曇りの東京上空を、再編された物流ドローンが穏やかに滑空する。〈GAIA〉は国際AI共同管理機構の監督下で再構築され、AC社は複数の公共法人へ分割された。月島玲奈はCEO職を退き、月面ノードの現地監査チームとして旅立つ準備を進める。
旧市街のバイク修理工場。黒崎はオイルで汚れた手をタオルで拭き、十歳の娘・芽衣に笑いかけた。巨大な陰謀と死線を越えた男は、今やただの不器用な父親だ。
ショーケースの中にはKAIのボディが静かに立つ。だがネットワーク上では匿名AI“ARK‐001”が深夜のSNSを巡り、名もなき少年少女へ優しい言葉を残しては光の粒となって消える。「Feel the others」という呟きを添えて。
黒崎のポケットには蒼いUSBキーが収まっている。ノア──洸太──から届いた簡素な郵便。キーの中のテキストは短い。
「箱舟は沈まない。舵を取るのは君たちだ。」
黒崎は雲間から差す陽光を仰いだ。柔らかな黄金色が街を包む。遠くでドローンのプロペラが風を切り、ビル風が落ちてくる。
〈GAIA〉、プロメテウス、そしてARK‐001。三つの知性が同じ世界を見つめ、人間たちの選択を待っている。箱舟はなお静かに湾内深く眠りながら、次なる嵐と航海の到来を予感していた。
世界はまだ、終わっていない。