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霙煙る街のカナリア

/ 25 min read /

霧島ユウリ
あらすじ
旧市街の刑事・溝口は、AIが自殺と断定した転落死事件に違和感を覚える。だが、都市の管理システムはすべてAIに委ねられ、真実はデータの海に埋もれていた。天才トレーダーは金融の闇に潜み、記者は巨大企業の不正を暴こうと奔走し、復讐に燃える父親は独自の調査を始める。彼らの思惑が交錯する中、都市は臨界点へと向かっていく。AIによる未来予測とデータ改ざんの裏で、人間の信念と裏切りが火花を散らす。果たして、誰が真実に辿り着くのか。霙煙る街で、カナリアは警鐘を鳴らす。
霙煙る街のカナリア
霧島ユウリ

午前五時二十四分。常磐市旧市街の夜気は、海から巻き上げられた霙を含みながら石畳に濁った銀色の膜を落としていた。昭和の面影を残す雑居ビル群は、新都心に林立する再開発の超高層を見上げるたび、取り残された骨の疼きを覚えるのか、外壁のタイルをぽろりと剥がしては足下へ崩れ落としていた。十二階建ての古びたビル「黄鶏会館」も例外ではない。屋上へ続く鉄扉は塩気を孕んだ風に二十年かけて錆を育て、赤黒い瘡蓋を浮かべている。
その扉を開ければ、雨粒と雪片の境界線を見失った霙が一面の薄煙のように視界を覆う。コンクリートの床にうずくまるヒューマン・シルエットは、かつて精密部品メーカー〈山内テクノロジー〉を創業し、いくつもの研磨機や半導体装置と共に笑い、泣き、拍手し、血圧の上昇と下降を数値で共有した技術者たちの中心に立っていた男のなれの果てだった。山内弘、享年五十二。胸骨は真っ直ぐに割れ、肋骨は開いた貝のように臓器を外気へ晒し、頭部は頸椎ごと不自然に後方へねじれている。異様な姿勢の遺体が放つ生温い鉄臭さは寒風にも奪われず屋上に滞り、鳥すら迂回して飛んでいく。
転落死──市警が導入した最新鋭のAI犯罪予測システム〈プロフェット〉は、五十七秒で「自殺濃厚」の緑色チェックマークを警察端末へ返した。それは、市の政治家も、証券会社も、そして市民すら疑う余地がないと信じる“未来の神託”だった。だが現場に駆けつけた刑事・溝口健司は、冬物コートの裾を湿らせながら膝をつき、遺体のすぐ脇に折り畳まれた黒い傘を拾い上げる。
骨組みは風を避けるように完璧に畳まれ、革製グリップには指紋も掌紋も傷もない。まるで誰かが白手袋をして置いたかのような潔癖さ。
「飛び降り自殺を決意した人間が、折り畳み傘をここまで几帳面に閉じるか?」
独り言は霙に吸い込まれ、手すりの向こうで目覚めた街の遠鳴りと混ざり合った。ビルの縁から地面までの高さ、落下軌跡の解析、遺体へ残った衝突角度。それらを頭の中で三次元モデルに組み立て直しながら、彼は遺体の肩口に触れる。防寒手袋越しでも指先に伝わる隆起──そこには、手の平ではなく靴底で押し込まれたような扁平な痣が浮き出ていた。
「誰かに突き落とされた形跡です」
声に出す前から確信は骨となって胸へ沈み込む。到着したばかりの若い相棒・桂木悠人がタブレットを掲げる。
「でも〈プロフェット〉は白って言ってますぜ、先輩。監視カメラ映像やソーシャルログの相関度、全部踏まえた結論です」
桂木の息は白く、霙の粒と一緒に空へほどけた。溝口は答えない。屋上のひび割れた縁に残る細かな擦過痕をルミノールで照らすが、血痕反応は薄く、不自然に洗い流されたようだ。都市のアルゴリズムは死を「自殺」と断じ、管理者たちは神託を疑わない。刑事の勘など、老朽ビルの崩れかけた手すりと同じく、交換可能な部品と見なされている。霙が頬を刺す冷たさより、胸に渦巻く焦燥の熱のほうが強かった。

常磐市は地図の上で見るより速く動いている。湾岸を埋め立てた人工島の上、EVメーカー〈ガイア・フロンティア〉のロゴは黒曜石の切子面のように朝日を反射し、収束ビームの輝きを街へ散らす。ビルとビルを結ぶドローン用スカイ・パイプには徹夜で働く配送機が群れ、鉄と光の川を作って海上へ伸びた。
一方、旧市街の路地ではテナント募集の紙が雨でふやけ、昭和歌謡が漏れるバーの看板が瞬く。溝口はこの弱い街路灯の下を歩き、山内弘が生前に追っていた連鎖倒産の資料を重ね合わせる。見つかったのは十七社の社名、潰れた時期、資金ショートの理由の不自然な一致。メールで照会した元経営者のうち、返事が来たのは三通だけ。その内訳は「話したくない」が二通、そして一通は住所不明で戻ってきた封筒——差出人印は濃い赤で塗りつぶされていた。
この街では、沈黙もまた通貨として流通する。
その頃、常磐証券取引所は未明から騒然となっていた。トレーダー桐島零——“カナリア”の異名で恐れられる二十三歳の若者が、ガイア株の成行買いを開場二分で巻き上げると、午前のゴングがまだ響く中で空売りを叩き込み、五百二十二億円を吸い込んでみせた。チャートは赤と緑の閃光で塗り潰され、モニターを殴った投資家の拳が砕けたという噂すらSNSに流れた。
昼過ぎ、ガイアCEOヴィクトリア・ウォンはガラス張りの会見室に現れる。企業ロゴ入りのミントグリーンのセットアップ、無色透明の眼鏡フレーム。彼女の声はソプラノめいて高いのに、言葉は低く沈んだ警鐘のようだった。
「市場テロ。現代の犯罪者は銃ではなく数字で人質を取る」
記者席には憤怒と熱狂が渦巻く。ヴィクトリアはしかし、眼鏡の奥で笑っていた。自社バッテリーに潜む欠陥が噂となる前に、市場混乱で匂いを拡散すれば追跡は難しい。数字が喧嘩をしている間に、血の匂いは隠せるのだ。
黄昏、溝口が屋上を再訪すると、薄紫の空にかかるクレーンのシルエットが首を垂れていた。その影からジャーナリスト安斎莉奈が現れる。長いレインコートの裾を泥水に引きずり、手にしたUSBを揺らした。
「自殺って断定するには、腑に落ちないね」
胸元の扇形キーチェーンには山内の社章。
「暗号化されてる。私が解く代わりに、あなたの署の捜査資料を見せて。フェアな交換でしょ?」
溝口はポケットで資料庫のカードキーの角を弄ぶ。冷えた風が二人の間を切り裂き、クレーンのワイヤが軋む音が背後で呻く。都市の正義は常に等価交換。この街で真実を掴むには、悪魔の指をも握らねばならない。溝口は息を吐き、カードを差し出した。莉奈は口角をわずかに上げ、霙に濡れた髪をかき上げる。

山内の死から七日目、ガイア本社の吹き抜けロビーは、白大理石の床が照明を虚ろに反射し、人々の足音を万華鏡のように歪めていた。その静寂を破ったのは一発の銃声。長谷川宗佑——かつて旧市街で板金工場を営み、再開発の補償金で息子の未来を買えると信じていた六十二歳の男。薄くなった髪を汗と埃で貼り付かせ、手の中の古びた回転式拳銃には一発だけ装填されていた。
「息子を返せ!」
叫ぶ前に、若い警備員が体当たりし、弾丸は天井の防犯カメラに吸い込まれた。破裂音が残響を引きずり、人工滝の水音と絡み合う。長谷川は抵抗せず腕を差し出した。その瞳は凍土に埋まった鉱石のよう。溝口が面会室のアクリル板越しに向かい合ったときも、視線は一点を凝視し続けていた。
「フォークリフトのセンサー、故障してたんだ。安全装置はオンのはずだった。なのに……」
老いた声は擦り切れ、言葉の端が剃刀で削られた紙片のように鋭く震える。
「検査報告は『異常なし』。私が知りたいのはただ一つ、真実だ」
帰路、溝口の護送車が湾岸道路へ差し掛かった瞬間、AIナビの表示が反転した。
〈経路を再計算〉
機械的な声の直後、アクセルペダルが床に張り付いたように沈み、ハンドルは重い錘をぶら下げたかのように動かなかった。スピードメーターの針が赤域へ跳ね上がり、溝口はサイドブレーキを引き、縁石に車体を擦りつけて止める。火花がフロントガラスを白く照らし、遠くのタワーに映るヴィクトリアのホログラム広告が嗤った。
運転ミス——上層部の短いメールと〈プロフェット〉のログ。証拠となるはずの通信痕跡はクリーンに消去され、事故はシステムが選んだ未来として確定した。白色蛍光灯が揺らす寒色の陰影の下、紙の報告書だけが、重みのある現実として溝口の手に残る。彼を守るものはもはやインクと紙の摩擦、そして研ぎ澄ました本能だけだった。

安斎莉奈のワンルームは、一人暮らしのジャーナリストに見合わぬ数のモニターで壁が埋まる。夜更け、桐島零が無言でドアをくぐり、バイオリンケースに似たラップトップ鞄をテーブルへ置く。金属製の留め具を外す際の硬質な音が、室内に蛍の光点を散らす。
「山内データ、僕が解く」
彼は椅子に沈み、指を踊らせた。数層の暗号を剥ぎ取るたびに表示される数値があり得ない急峻で増幅し、PCファンが悲鳴を上げる。
浮かび上がった映像。原発廃熱を二次利用する試験室。バッテリー・モジュールが閃光を噴き、火球が研究員の防火服を溶かす。タイムスタンプは書き換えられ、1週間の誤差で事故そのものが帳消しにされていた。
「事故確率を“0.02%”に固定。実測値は二桁違う。これじゃ預言でも予防でもなく、未来の偽造だ」
零は画面を睨み、銀色に刈り上げた髪に青白い光が滲んだ。
「データで都市を支配できるなら、データを書き換えれば神を墜とせる。僕はそのカナリアになる」
彼の目には深い井戸——金融市場と原発制御、そして〈プロフェット〉の裏口を同時に攪乱する多層シナリオが映っていた。莉奈は恐怖と好奇心が入り混じった瞳で零を見つめる。
「あなたはヒーロー? それともテロリスト?」
「歌を聞き取れるほうにとって、カナリアは英雄だよ」
零は静かに笑い、溝口へ送る協力要請のチャットを書き始めた。夜更けの旧市街に、ネオンの残滓が窓枠で震えた。

原発中央制御室。照度を抑えた室内で、監視モニターが森の蛍のように点滅する。技師・榊孝太郎は机に置かれた指示書を見つめていた。定期点検項目を三割削減、署名は無記名の電子印鑑。そして同時にスマートグラスへ届いた脅迫メール——家族写真の上に重ねられた赤い×印。
夜、榊は霧雨の駅前広場で溝口と接触した。傘も差さず、額に雨粒を滑らせる初老の技師は、震える手でデータチップを差し出す。
「冷却ポンプが故障すれば、臨界まで六分三十五秒……。補助系も止められている」
溝口が受け取った黒いチップは、氷の欠片より冷たかった。
同じ頃、桐島零はタワーマンション最上階の硝子張り書斎で“ブラック・カナリア”アルゴリズムを起動。市場は悲鳴と共に崩落曲線を描き、AI取引の九割がエラー落ちした。ヴィクトリアは超高層のオフィスで、壁一面のスクリーンを眺めながらハイヒールの爪先で床を打つ。
「原発で事故が起きれば、補助金は十倍。市場混乱は保険金で相殺。損するのは弱者だけ」
彼女は非常ベルを押し、緊急避難指示を発令させた。
市民は寝巻きのまま道路へ溢れ、サイレンが吠える夜。だがその混沌へさらに牙を剥いたのは、零の端末を急襲した中国系ハッカー部隊《猟犬》だった。
非常階段に閉じ込められた零は、燻る煙の匂いを吸い込みながら階段を駆け降りる。壁を蹴り、角を曲がり、膝の軋む痛みを無視して最下層へ辿り着くと、外は赤と青のパトライトが交錯し、サイバー攻撃のトレースログが空中に拡張表示された。
「歌い続けるぜ、カナリアはな」
血の味を含んだ唾を吐き、彼は再び指を動かした。

赤色灯で染まる国道を、溝口と莉奈は覆面車で原発へ突っ走る。避難車列のヘッドライトが夜霧を切り裂き、路面は雪解け水で泥沼と化していた。タイヤが跳ね上げる泥はフロントガラスに斑模様を描き、ワイパーが必死にそれを拭い去る。
制御室まで残り三キロ。溝口はインカムで零と連絡を試みるが、電磁ノイズが途切れ途切れに悲鳴を上げるだけ。
「零! ポンプ再起動のコードは書けてるのか?」
『追われてる。だが歌は止めない』
車内スピーカーから流れる声は息が切れ、銃声か破裂音のような残響が混ざっていた。
一方、拘置中だった長谷川宗佑は護送車両を横転させ自力で脱走。向かったのは息子が命を落としたガイアEV工場だ。無人のラインは蛍光灯を落とされ闇に沈み、巨大ロボットアームが赤い警告灯をかすかに点滅させている。床に置かれた時限爆薬のLEDが血管の鼓動のように光る。長谷川は息子の名を呟き、起動スイッチに指を掛けた。
常磐市の三つの正義——溝口の勘、零の警告、長谷川の復讐——が一本の歪な螺旋を描きながら、臨界点へ吸い寄せられていく。

原発制御室は蒸し風呂のように暑い。冷却ポンプ停止の警報が赤い海となって壁一面を染める。ヴィクトリアの側近たちは非常出口へ殺到しようとするが、技師・榊孝太郎がピストルを突きつけた。
「ここから一歩でも動けば撃つ!」
榊の握る銃口は震えるが、視線は凍てついた炎のごとく揺らがない。その瞬間、ドアを蹴破って溝口と莉奈が滑り込む。
「レバーを引け!」
溝口は制御卓へ飛び、手動再起動用の大型レバーに両手を掛ける。油で滑り、腕の筋が引き裂かれる痛みに顔をしかめながら全体重を乗せる。だが主電源は落ちていた。
残り四十二秒。
上空では非常用ヘリがローターを回し、ヴィクトリアの脱出を待つ。不気味な低周波が制御室の外壁を震わせた。
その瞬間、零が遠隔で撃ち込んだ再起動パッチが制御盤を奔り、モニターが一斉に青へ変わる。轟音を立ててポンプが目覚め、濁った水流が配管を駆け上がった。制御棒が降下しきる刹那、地鳴りのような息吹が建屋を満たし、都市の鼓動が止まり——そして、ゆっくりと再び脈打った。
臨界は回避された。
ヴィクトリアのヘリは離陸寸前で緊急着陸を命じられる。安斎莉奈がライブ配信で制御室の一部始終を世界へ流し、視聴者数は数分で三千万を超えた。国外へ逃げようとしたヴィクトリアの名は国際手配リストに載り、夜明けの滑走路で榊が手錠を掛ける。初めて彼女の顔から笑みが消えた。
その頃、港湾区。無人のEV工場が火柱を上げた。長谷川は炎の中から息子の作業着を抱え上げられ、救急車内で酸素マスクを当てられる。溝口は病室のカーテンを開け、朝焼けを差し込ませた。
「やっと……息子に顔向けできる」
長谷川が呟くと、窓辺で風鈴が微かに泣いた。
桐島零は、すべての資産を慈善団体へ匿名寄付した後、湾岸タワーの屋上に立っていた。潮風はまだ霙のくすぶりを含み、都市の光が波面で砕けて白い泡を撒く。
「歌は届いたか?」
問いは夜空へ溶け、遠くで啼く船の汽笛だけが答えた。彼はフードを深く被り、暗闇へ身体を紛れさせる。
〈プロフェット〉は停止が決定し、市警には“人間の勘”を重視する新部署——第零係が設立された。初代係長の辞令を受け取った溝口は、春の雪が消えかけた旧市街へ足を向ける。
剥がれたタイル、錆びた手すり、霙の匂い。かつて山内が最後に見たであろう風景は、相変わらず灰色で、しかしどこか新しい輪郭を帯びていた。
——カナリアの歌は終わったのか。それとも新たな警告か。
溝口は折り畳み傘を胸ポケットで握りしめる。その指先に伝わる革の感触は、屋上で拾ったときと同じ冷たさ。それでも彼は歩みを止めない。耳を澄ませば、微かな囀りがまだ胸の奥で震えている。
雪混じりの風の中、彼は足音をゆっくりと石畳へ刻み、夜明け前の空にかすかな蒼を見た。